炬燵の中でゲーム三昧

ゲームのプレイ雑記やあれこれ

FF14 プレイ日記#3:暁月のフィナーレ 絶望の歌

 暁月のフィナーレ 89 ID クリア時点までのネタバレを含みます、ご注意ください。

 ※ パッチ 6.0 時点の記事です。

 

古代世界とエメトセルク

 古代世界!!

 いや、テンション上がった。 暁月のナレーションはずっとエメトセルクだったし、ゾディアーク戦でヒュトロダエウスの顔もチラ見せしていたし、前置きはあったのだけど。 やっぱりエメトセルク、ヒュトロダエウスが生きていた時代で彼らと会えるのは感慨深い。

 漆黒編でも古代人と現代人の価値観の違いを示してきたエメトセルクだけど、ヘルメスとの対比によって、より鮮明に古代人の価値観を体現する人物として描写されます。 ヴェーネスやアゼム、ヘルメスといった、古代世界における異端児に囲まれてなかなかに大変そう。 眉間の皺も深くなろうというものです……。 (ヒュトロダエウスも柔軟な考え方ができる人物ではあるけれど、常識的な古代人の範疇を出ていない気がする)
 その一方で、エメトセルクがヘルメスの抱える悲しみを真っ向から否定することもしないんですよね。 創造生物の死を悼むヘルメスに対し、共感はできずとも「この仕事はお前に向かない」と理解を示そうとする。 まあ、その理解がヘルメスにとっては斜め上なので、よりヘルメスの孤独感を増大させる結果になっている気もしますが……。 もしヘルメスが「対話」を望んだなら、少なくともエメトセルクはそれに応じたのではないか、そして別の結末もありえたのじゃないか、と思ってしまいます。 「なりそこない」との協調路線を真剣に考え、提案をし、対話を試みたのは他ならぬエメトセルクなのですから。 もっとも、周囲との価値観に違いから疎外感や孤独感を感じていたであろうヘルメスに「対話」という選択肢がなかったのは仕方のないことかもしれませんが。

 結局、ヘルメスの反逆により、光の戦士が訪れた過去も終末の災厄に見舞われた現代につながってしまう訳ですが、笑って光の戦士に想いを託すエメトセルクに涙腺が……。 f:id:kotatu56:20211214182604p:plain f:id:kotatu56:20211214184331p:plain 改めて思ったのだけれど、エメトセルクは漆黒編から一貫してアゼムと光の戦士を別の存在として認めている節がある。 アシエンとして活動しているときには、かつての友人アゼムの魂が「なりそこない」の中に見られることに対する憤りも混ざっていたのかもしれませんが。 それを差し引いても、ヒュトロダエウスが光の戦士に対して「懐かしくも新しい君」と呼びかけ、アゼムと同質の存在とみなしているのと対照的。 個々の生命に重きを置かない古代人の価値観を体現する人物として描写される一方で、本質的には誰よりも個々の存在を認めていたではと思ったり。 ゾディアーク召喚の贄となるべく別れを告げるヒュトロダエウスに向けられたエメトセルクの表情は、星のために仕方のない犠牲だと割り切っているようにはとても見えず。

幸せの青い鳥

 「幸せを運ぶ鳥」というメインクエスト。

 紀行録を見直していてはじめてこのクエスト名に気がついたのですが、メーティオンのモチーフはモーリス・メーテルリンクの童話「青い鳥」なんですね。 そう思って見てみると、メーティオンの外見はまさに青い鳥。

 「青い鳥」が「幸せは身近なところにある」ことを示す寓話として一般に解釈がされることを考えると、メインクエスト「幸せを運ぶ鳥」において、メーティオンの姿が青から黒に転じるのは非常に示唆的です。 完全なる善き世界を実現することに囚われて個々の生命を顧みない古代人たちはもちろん、幸せや生命の意味を問うことに囚われ、身近にあるささやかな幸せを顧みないヘルメス自身も揶揄しているように思います。 f:id:kotatu56:20211214182901p:plain f:id:kotatu56:20211214182933p:plain

 一方で、メーティオン自身は、身近にある幸せを示し続けていたんですよね。 ヘルメスの悲しみを肯定し、好きな人と過ごす日々を大切し、砂糖どばどばのりんごや想いを込めた花といったささやかなことに喜びを見出した(暁月の前半でも、光の戦士やアルフィノ、アリゼーたちが、食卓をともにし、談笑する日常的な場面が生きる幸せとして描写されている)。 けれど、そういったメーティオンの想いは、一番側にいたはずのヘルメスには届かなかった。 メーティオンが最期に残した「みんなを護って」という言葉もまた届かなかった。 代わりにヘルメスが選んだのが、遠い星々から受け取った「絶望」だというのはなんとういう皮肉でしょうか。
 一点の歪みもない完全なる幸福を追い求めているヘルメス。 恐怖や悲しみのない完全なる善き世界を志向する古代人たち。 互いに相手を間違っているとしながらも、結局のところ根底にあるメンタリティは同じだな、と思うとなんだかやりきれない。 古代人の価値観の中で生まれ育ちながらも、絶望の存在を認めた上で希望を捨てずに前へ進み続けることのできるヴェーネス(とおそらく当代のアゼム)が異常なのかもしれませんが。

 アゼムの顔や名前が直接描写されることはないのだろうけれど、終末の厄災に際してアゼムが何をしていたのかは気になる。 十四人委員会を離れたあとも、ヴェーネスと連携を取るでもなく中立を貫いていたということですが。 今後その辺りも語られるのでしょうか。
 いずれにせよ、弟子はやがて師を越えていくもの。 ヴェーネスとアゼムが師弟であったことを考えると、光の加護を受けハイデリンの導かれた新生編から始まり、徐々に光の戦士がハイデリンの手を離れていったのは必然だったんだなと。 暁月編が、ハイデリンからの完全なる巣立ちの章となりそう。

ヘルメスとアモン

 暁月の前半、アモンがなぜ終末を望んだのか理解しきれずもやもやしていたのですが、ヘルメスが登場したことで少し理解できた……気がします。 ヘルメスもアモンも、真面目で頑固で、大勢の人が生きていく中で割り切ってしまうものを切り捨てず、正面から向かい合おうとする、のかな。 結果として、ヘルメスはヒトの価値を試すべく世界に反逆し、アモンはヒトに絶望して終末を引き起こした。

 「終わり」を志向しながら、「負けた気持ちになる」と語ったアモンですが、ヒトに絶望し、すべてを諦めた時点で、そもそも勝ち負けの土俵から降りてしまっていた気がします。
 エメトセルクは同胞を救うために最期まで戦い、結果としては負けたものの、己の想いを光の戦士に託して同胞のもとへ還った。 エリディブスは記憶を欠かしながらも最期まで抗い、やはり負けたものの、同胞への愛を取り戻した。 ヴェーネスは多くの同胞と道を違えながらも前に進み、今なお戦い続けている。
 遠い星々に答えを求めたヘルメスと、アラグという国の盛衰を生者でなく死者(ザンデ)に求め、やがてすべてを諦めたアモン。 二人が、己がどんな答えを求めていたのか、己の所業がどんな結末を迎えたのか、知ることのないまま闇にとらわれることになるのは必然なのかな、と。 メーティオンや光の戦士たちが身近に幸せを見出したように、幸せは求めるものではなく見出すもの。 己の幸せを見いだせない者に、ヒトの幸せを問うことなどできないのかもしれません。

そのほか細かい元ネタ

 古代人関係はギリシャ神話がベースになっているものが多い印象。 メモがてら分かったものをつらつらと。

ハーデス(エメトセルク)

 ギリシャ神話における冥府を統べる神ハデス。 死して冥界(エーテル界、星界)に眠る同胞の願いを叶えようとするエメトセルクを示したものか。

ヘルメス

 ギリシャ神話におけるオリュンポス十二神の一柱ヘルメス。 多面的な特徴を持つ神なのでどうとでも解釈できそうだが、知に富む点(自然や生物に対して深い知識を持つ)や、神々の伝令使(星々にメーティオンを送り問いかける)、死者の魂の案内人(死という概念が希薄な古代人に死の恐れと悲しみをもたらす)といった側面が反映された形か。 ゲーム内でヘルメスが使っている杖のデザインがそのままケリュケイオンギリシャ神話においてヘルメスが持つとされる二匹の蛇が巻き付いた杖)で、おお!となった。 f:id:kotatu56:20211214194526p:plain

ヴェーネス

 ローマ神話における愛の女神ヴィーナス(ギリシャ神話の女神アフロディーテとしばしば同一視される)が元ネタ? ヒトへの愛を象徴するものか。

カイロス

 ギリシャ語で「時」を表す「カイロス(Kairos)」。 ギリシャ語で「時」を表す言葉として「クロノス(Chronos)」もあるが、前者が主観的な「時」(チャンスやタイミング)を表すのに対し、後者が客観的な「時」(過去から未来までの時間の流れ)を表すらしい?

アルゴス

 ギリシャ神話に登場する 100 の目を持つ巨人アルゴスが元ネタかと思ったけれど、ヘルメスに打ち負かされるエピソードが噛み合わない。 古代ギリシャ都市国家アルゴスに当たる土地にアフロディーテ神殿の遺跡が現存しているらしいので、ヴェーネスとの関係性を考えるとこちらの解釈が妥当か。