炬燵の中でゲーム三昧

ゲームのプレイ雑記やあれこれ

DEATH STRANDING その16

 MHRise が楽しくて仕方がない裏側でちまちま進めています。ストーリーとしては中盤くらいかな?少しずつ盛り上がってきた気がします。

 

【PS4】DEATH STRANDING

【PS4】DEATH STRANDING

  • 発売日: 2019/11/08
  • メディア: Video Game
 

 

 ※ 以下、ネタバレを含みますので、ご注意ください。

 

 エピソード 5 ママー クリアまで

 

 ロックネを説得するために、双子の姉妹であるママーに相談に行くところから再開。どうやらママーの娘は、遺伝子的にはロックネと彼女の恋人(故人)の子供らしく、テロ以降会っていなかったロックネとちゃんと話をするため、娘との繋がりを断つことに。生きて産まれてこなかったとは言え、「自分が小さな繋がりを断つことで、世界を繋げることができるのなら」というママーの決断は切ない。ママーの娘(BT)を現世に繋ぎ止めている臍帯(コード)をプレイヤー自身の操作によって切断することになるのでより一層心にきます(後で調べたところ、しばらく操作せずにいたらサムが勝手に切断してくれるらしいですが)。ママーをマウンテン・ノットシティまで連れていくために背負い、研究所を出たところでヒッグスが再登場。大型 BT を呼ばれ襲われますが、今回は撃退しなくても逃げ切れば良いということで難なく突破。ママーを背負っているからと徒歩移動のためにスピードスケルトンを装備していたのがよかったのかも、BT 周辺のドロドロのなかでも移動しやすかったです。マウンテン・ノットシティまでの道中では、ママーとロックネについて、二重胎児として産まれ身体は切断されたもののビーチを介して精神的に繋がっていた(双子通信が可能だった)こと、テロに際して繋がりが断たれていたことが語られます

 マウンテン・ノットシティに到着し、モリンゲン(ママーの本名)とロックネの久方ぶりの再会ですが、モリンゲンは息も絶え絶えな様子。実は、モリンゲンはテロに遭った際に赤ん坊と一緒に死んでいて、BT 化した娘を介して魂(カー)が現実世界の身体(ハー)と繋がっていた状態だったとのこと。エピソード名が「MAMA(母親)」であった通り、モリンゲンは一度死に BT 化した娘の「母親(ママー)」として存在していたんですね(BT 化した娘に授乳できたのは、ママー自身も死者の側に近かったからなのかな)。そして、娘との繋がりを断つことでママーは死に、モリンゲンとして双子の妹ロックネとの繋がりを取り戻す、ここのエピソードの流れがとても好きでした。ドキュメントで語られていた身体(ハー)と魂(カー)の死生観が反映されていたのも良かった。

 

 フラジャイルのエピソードでも思いましたが、このゲームはムービーシーンの演出のこだわりようがすごいです。俳優さんの表情だとか、人物の魅せ方だとか。涙の表現が最たるもので、キャラクターが涙を流すシーンでは必ずといって良いほどカイラル物質が絡んでいて、カイラルアレルギーとしての涙なのか、感情表現としての涙なのか、ユーザーの想像に任される形になっているのんですよね(赤ん坊の臍帯を切る直前、ママーが涙を流すシーンも、モリンゲンと再会したロックネが涙を見せるシーンも)。こういう想像の余白が大きさはすごく好きです。余白と言えば、ママーが赤ん坊を手放せなかった理由も明言されないんですよね。己の生んだ子への母親としての愛なのか、ロックネの子を守りたかったのか、ロックネとの絆を断たれたことへの代償行動だったのか、はたまた現世への執着か。あと、赤ん坊の臍帯を切る直前、ママーがサムに背を向けて話す、表情が見えないシーンが個人的に印象的でした。赤ん坊の臍帯を切った直後、女性の幻のようなものが見えたけれど、あれはママーの魂が身体を離れたことを表していたのかな。

 このゲームの最重要キーワードとして「繋がり(絆)」が最序盤から提示されていますが、これまでのエピソードを振り返ってみると、

  • アメリカ全体の絆(エピソード 1 ブリジッド)
  • サムとアメリの絆(エピソード 2 アメリ
  • フラジャイルと彼女の父、フラジャイルとヒッグスの絆(エピソード 3 フラジャイル)
  • マッツ・ミケルセンと BB の絆(エピソード 4 アンガー)
  • ママーと赤ん坊、モリンゲンとロックネの絆(エピソード 5 ママー)

といった感じで、エピソードごとに異なる絆をテーマにしていて、そのせいで物語がとぎれとぎれであるように感じてもいるのですが、アメリカ全体の絆の重要性の提示(エピソード 1)から始まり、個々の絆が焦点が当たり、やがて収束していって、アメリカ全体の絆が達成されるという展開だと熱いなぁとか、物語がどういう結末を迎えるのか楽しみになってきました。プレイヤーに対し、繋がりの大切さをストーリー面、ゲーム面双方から感じさせるゲームデザインになっているのも秀逸だなぁと思います。このゲームをオフラインでプレイしていたら、運搬経路の開拓を一人でしていかないといけなくて挫折しそう。

 

 ただ、前回に引き続き個人的な愚痴になりますが、物語の魅せ方には不満な点がちらほら。ママーと娘、モリンゲンとロックネの繋がりについてもそうですが、重要な情報が台詞で唐突に説明されるので味気ない。全く伏線を貼っていない訳ではないのですが、キャラクターたちの過去の積み重ねが見えず、キャラクターに感情移入しにくいとともに、やや奥行きのない表面的な物語に見えるのが残念(言葉でキャラクターの背景は説明されるが、そういった背景を踏まえたキャラクターの言動があまり描写されないから説得力に欠ける、映像や演出でリアリティを追求しているから余計にキャラクターの薄っぺらさが目につく)。言い方は悪いけれど、格好良い演出と SF 的な設定を並べただけに見えなくもない。この辺り、ユーザの受け取り方よりも、製作者がやりたいことが優先されているのかなぁとか思いつつ。ゲームをプレイしていると製作者(まあ、概ね小島秀夫氏なんですけど)の存在がちらついて没入感が削がれてしまう。製作者自身の特色が強い作品でも、ヨコオタロウ氏の作品(DoD、ニーア)や上田文人氏の作品(ICO やワンダ)、映画になるけど宮崎駿監督の作品なんかは好きなので、小島氏の作品を苦手に感じるのは感性の問題なのかなと思いつつ。

 製作者が作りたいように作ったのかなと顕著に感じるのがプレイヤーの操作キャラクターであるサムかなと。プレイし始めの頃こそプライベートルームでサムの色々なポーズを眺めたり、荷物を受け取るときなどのサムのカットシーンを見たりするのを楽しんでいたのですが、これによってサムを演じるノーマン・リーダスという役者の存在が強く意識させられて。もともと、MGS でのパッケージ裏のパスワードMGS2 での大佐の「今すぐ電源を切れ」といった台詞に代表されるように、過去の作品からしてメタ的な遊び要素は含まれていたので、これも製作者の嗜好の一つだとは思うのですが、DEATH STRANDING の場合、サム≠プレイヤー、つまり、この作品自体、自分(プレイヤー)の物語でなく、他人(サム)の物語としての側面が必要以上に強くなってしまっているように思いました。この辺りについては、どういった方向性でこのゲームを作ったのでしょうか。ゲーム部分は自分(プレイヤー)が荷物を運ぶことで大陸を繋げていっているという「自分の物語」としての側面を強く感じていて、プレイヤーの物語にしたいのか、サムの物語にしたいのか、はたまたノーマン・リーダスの物語にしたいのか、その辺りの統一感のなさが気になってしまう。ゲームとしての出来の良さと物語の魅せ方への不満、リアリティを追求した映像・世界観の表現とゲーム(フィクション)であることを強く意識させるメタ的な表現、そういった落差にすごく戸惑っているのかも

 

 ……と、愚痴愚痴言いつつも、そうやって色々書きなぐりたくなるくらい楽しんでもいるんですよね。不思議なゲームだなぁ。

 

 ストーリー面の話が中心になってしまったけれど、ゲーム面ではピーター・アングレールへのピザ配送依頼が段々面倒になってきました。もともと縦置き禁止という制約と時間制限があったピザ配送ですが、今回は時雨農場が出発地点となっていて。ただでさえ距離が遠いのに、手で持つ必要があるシャンパンの配送も追加されて、長い距離をひたすら徒歩で走り抜けることに。ここで初めてスピード・スケルトンを使いましたが、通常時と比べて走るスピードが段違いな上、小回りもきいてかなり良かったです。電力の残量だけ注意しないといけませんが。最後に、現在の状況をメモ。

クリアした依頼
[依頼 No. 45] [至急]ピーター・アングレールへ、焼きたてのピザを届けるべきだ!(評価 S)
[依頼 No. 46] マウンテン・ノットシティ[K7]へママーを搬送する(評価 S)

LEGEND 数:85

現在のグレードブリッジリンク 80速度 20数量 56サービス 65安全性 53配達人グレード 274マスター・キャリアーグレート・キャリアー

現在の総プレイ時間:約 50 時間

獲得トロフィー
・繋がった、また ひとつになった("エピソード05:ママー"をクリア)