炬燵の中でゲーム三昧

ゲームのプレイ雑記やあれこれ

OPUS 魂の架け橋 その1

 『OPUS 魂の架け橋』(Nintendo Switch 版)を前作に引き続きプレイ中です(前情報によると、同じタイトルを冠しているものの両作に繋がりはないらしい?)。なんとなく世間では、「OPUS 地球計画」よりもこちらの方が評判が良さげな雰囲気ですが、1 時間半くらいプレイした個人的なファーストインプレッションとしては、前作の方がきれいにまとまっていて好きだなぁ。最後までプレイしてみないと分かりませんが。

 

 

 ※ 以下、ネタバレを含みますので、ご注意下さい。

 

 舞台となるのは地球、ロケットを打ち上げることにより死んだ人の霊魂を宇宙に還す「宇宙葬」という儀式が行われています。しかし、あるとき疫病(インフルエンザ)が人類を襲い、人間社会は崩壊してしまいます。生き残りであるロケット技師のヨハンと宇宙葬を執り行う巫女のフェイが、死者の霊魂を宇宙へ還し救うために崩壊した世界の中でロケットを作る物語

 とりあえず一つ目のロケットを制作し発射するところまで進めましたが、大筋の流れは良さそうなのにストーリーとキャラクターの行動に説得力をもたせる(あるいは共感させる)だけの説明や描写が不足していると感じました。このゲームは基本的にヨハンとフェイとの二人の会話で物語が進んでいくのですが、二人がどんな背景を持っていて、何を考えているのか、また二人が住まうゲーム内の世界がどういった価値観で動いていて、今現在どういった状況なのか、そういった世界観や物語についての情報が断片的にしか語られません。一応、宇宙葬が一般化した宇宙教が広まっていること、ヨハンが長年霊魂に付きまとわれうんざりしていること(疫病直後から霊魂が見えるようになったのであれば実に 25 年!)、フェイが宇宙教の巫女としてのプレッシャーを感じていることなどが断片的には語られはいるものの、ある程度想像で補う必要があります。その結果、なぜ宇宙葬がそれほど大事なのか、なぜ二人は会話するたびに(ときに感情的に)言い争いをしているのか納得がいかなくて、人間社会が崩壊した極限状態なのだから死者の霊魂を還す宇宙葬よりも今生きているヨハンとフェイの安定した生活の方が大事じゃないかとか作品本来のテーマと関係ない(と思われる部分)ばかり気になって、物語に集中できず。なんでもかんでも説明する必要は無いと思いますが、ストーリーや雰囲気重視の作品だからこそ、物語に入り込む、キャラクターに共感するための動線はしっかり作って欲しかったなぁと思います。とは言え、世界観や雰囲気、BGM については前作同様非常に良いものとなっています。好きな場面もあって、ヨハンが冗談まじりに(半ば本気で?)自分の死について言及するたびに、「傷つくことは言わない」とたしなめるシーン。もともと赤の他人であった二人が寄り添うように生きていく切なさと暖かさが感じられて好きです。

 ゲームとしては、見下ろし視点で主人公の一人であるヨハンを操作して街などを探索し、与えられるヒントに基づいてロケット制作に必要な材料を集めて拠点へと持ち帰ることを繰り返し、徐々にロケットを完成に近づけていきます。その過程で、カッターや防寒装備、ライトなどの道具を作成して少しずつ探索範囲を広げていったり、霊魂からのお願いを聞いたり、一日の探索時間には限りがあるので探索ルートを考えたり。前作と比べてゲームらしさはだいぶ上がったんですが……。全体的に単調で退屈な作業であることは変わらないので、前作のようなシンプルさが失われた分、より面倒に感じてしまいました。その面倒さが崩壊世界で探索を行う困難さという物語内の状況を表現していると言えなくもないのですが……。なにより、探索ゲームなのに移動が面倒です。相変わらず全体マップはなく自分で道を覚えて探索しないといけないのに、マップは妙に入り組んでいるし、移動は遅いしで。一応、エリアマップを作成するとファーストトラベルが可能にはなりますが、ファーストトラベル可能な地点の数も限られています。

 という感じで、ファーストインプレッションは微妙なのですが、それほど長いゲームでもないようですし、今後の展開に期待しつつ引き続きプレイしていきます。